地中海・ヨーロッパ戦線に派遣された帝国海軍
2ndシリーズ⑧「平和ボケ」日本の幕開け
一九一四(大正三)年に第一次世界大戦が開始されますが、ここで触れておきたいのはイギリス外交の下手さ加減です。開戦当初から、「日本来てくれ」「やっぱりやめてくれ」「やっぱり来てくれ」を二回繰り返しています。いい加減にしてくれと言いたいところですが、日本は律儀に日英同盟を守ってドイツに宣戦布告します。青島にいるドイツを駆逐し、さらに太平洋からドイツを駆逐します。
日本にとって大切な満洲対策という点で考えますと、ロシアがドイツに対して劣勢であることは大きな問題です。英仏露は、「日本もヨーロッパ戦線に参戦してくれ」と虫のいいことを言ってきます。しかし当時、日本には軍事力はあっても、経済力の点で支えられません。何度か交渉の後、海軍だけがヨーロッパに向かうことになります。
歴史学者の平間洋一氏の著書『第一次世界大戦と日本海軍――外交と軍事との連接』(慶應義塾大学出版会、一九九八年)に、地中海まで帝国海軍を派遣した日本の功績がどれだけ大きかったものか、次のように紹介されています。
一九一八年四月中旬から六月中旬には、アレキサンドリアから約一〇万の兵をマルセーユに護送し、九月下旬にはエジプトからサロニカ(ギリシャ)へ連合軍の陸軍部隊を護送したことは、イギリス国防委員会が作成した『欧州戦争中の海上通商』に、ドイツ潜水艦の攻撃に悩まされていた「連合軍として若干意を強うするに足る事実少々之無きに非ず」、日本海軍の支援によって「我軍隊輸送船の行動上の危険が従来より著しく減少したことなり」と記されており、緊迫した当時の連合国側の戦況を有利に転換する上に大きな影響を与えたであろう。戦後の調査によれば、日本海軍は一隻も撃沈していなかったが、本作戦中にドイツ潜水艦と三四回交戦し有効攻撃二三回、そのうち撃沈または損害を与えたもの一三回に達したと当時は評価していた。
連合国側においては日本の功績の方がよほど大きかったことがわかります。イギリスなど連合国は、地中海と大西洋ではドイツの潜水艦Uボートがやりたい放題で、苦しめられました。ところがカナダから地中海まで帝国海軍が守っていましたから、ドイツ海軍は何もできませんでした。
第一次大戦を当時の日本人は、「欧州大戦」と呼びました。実態としても「世界大戦」ではありません。日本が世界大戦にさせなかったからです。